藤原良雄編集(2008)『別冊「環」15 図書館・アーカイブズとは何か』藤原書店、3300円+税。
藤原書店発行の『環』は、創刊号から定期購読しています。そうしたことから、『別冊「環」』も、発行される度に書店から私の手元に届いてきます。『環』、そして『別冊「環」』は、毎号興味深い特集が組まれていて、その特集を読むなかで、知識の幅を拡げたり、私自身、これまで気づかなかった問題を、いろいろと考えるきっかけを持つことができています。
今回の特集では、目次に「人類の知の記録という財産をいかに継承するか」という副題も掲げられていますが、普段から図書館を利用する私にとっては、収録されている鼎談や論文、図書館やアーカイブの現場からの報告・現状を示すデータなど、どれもが参考になり、「知の社会装置」としての図書館やアーカイブズについて、知識の整理と問題点のいくつかを把握することができました。
「日本の知識情報管理はなぜ貧困か」という論文のなかで、根本彰さんは、日本の図書館や文書館が十分に機能していないことについて、「知を特定の集団の共有物にとどめることで権威を保ち権力を行使する考え方が強かった」ことを理由にあげるとともに、「時代はそれをすでに許さなくなっている」と記述しています。また、「ネット上にあるのは公開された情報だけで」、「情報の公開を進める努力をしない限り、入手できるものは限られている」とも指摘しています。
こうした公開された情報をさまざまな角度から分析するなかで、私たちは自らの「歴史」を作り上げていくことが可能になるはずですが、根本さんによれば、「日本社会はそうした自己参照の資料群を組織的につくることを避けていた」ということになります。
このことは、根本さんが加藤周一さんの著書を議論するなかで記述している「日本人が『今』に著しく関心を集中し、それが『過去』の結果生じたこと、あるいはそれが次の『未来』へと繋がることを無視しがち」という内容と重なる部分があり、私自身気づかなかった点であり、考えさせられる面がありました。
「個人文書を集める」意義を主張した伊藤隆さんの論文では、日本の「公文書」とアメリカ等の「公文」書の違いについての記述から、議論が展開されています。伊藤さんも指摘するように、「政策決定過程」の記録がない「公文書」は、調査を行う人にとって興味を引くことが少ないのはその通りで、日本とアメリカ等では「記録」「文書」についての考え方の違いがあるという指摘には、頷けるところがありました。
また、「公共性」の問題とも絡んできますが、南学さんが指摘する「問われる公共図書館の使命と活動」のなかで、「公共図書館」としてのニューヨーク・パブリックライブラリーが公立ではなく私立(財団)の運営であることを、恥ずかしながら初めて知ることができました。日本の「公共図書館」の多くが、自治体経営を前提とするなかで「貸し出し中心主義に陥る図書館が大幅に増えた」といわれるなか、私立(財団)であるが故に可能となった「ダイナミズム」について、ここ数年予算削減に迫られている日本の「公共図書館」の置かれた現状とともに知ることができました。
地元の「公共図書館」の代表である愛知県図書館を、月に何回か利用しています。ここ数年、企画展が増えたことや最上階に「寿がきや」が入ったこと、そして職員の人たちによるサービスのあり方が以前とは変更したことにより、「公共図書館」のあり方も転機を迎えつつあるということを、少しは感じてきてはいましたが、今回の特集を読むことで、図書館とアーカイブズ全般について、さらに調べを進めてみようという気になりました。3300円+税と少し高めですが、「知の社会装置」としての図書館・アーカイブズを考える人にとっては、一読の価値ある内容になっています。
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