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2009年2月

「住基ネット問題多く」

2月中旬、住基ネット不参加の国立市に、総務相が是正要求するよう東京都知事に指示した旨の報道がありましたが、2月25日付け中日新聞朝刊には標記タイトルで、住基ネットの問題点が指摘されています。

記事によれば、全国をネットワーク化したことが住基ネットの「売り」だったが、実は自治体間の互換性に問題があるということで、外字登録した異体字を含む人名は、自治体間で互換性がある訳でなく、「外字は空白で表示され、住民票を居住地外で取ろうとしても申請がはじかれる仕様になっている」とのこと。

自治体関係者からは、「人名を正しく登録するのは住民サービスの基本中の基本。普段は問題なさそうだが、何かの拍子に出てくる隠れたバク(欠陥)だ。巨額の資金を投入した全国ネットなのだから、これくらい国が整備して当然」との批判が出ていることが書かれています。また、住基カードも二種類存在し、その読み取り装置も自治体間で混在。ある自治体のカードが、別の自治体では読み取れない場合があることも指摘されています。

住基ネットには導入コストとして390億円、運用コストが年間140億円から190億円がかかっているといわれています。オンライン化による効率化で年間430億円相当の効果が上がっているとの総務省のデータも書かれていますが、確定申告の電子申請でも、電子証明書が格納されたICカードを利用する場合、別途ICカードリーダーが必要となります。

「住基ネットを支える機材の交換に一千万円かかった。IT企業をもうけさせるためなのか」という自治体関係者の「ため息」も書かれていましたが、総務省からの関係団体への「天下り」の実態を考えると、誰のためのシステムなのかということを、改めて考えさせられました。

住基ネットに関しては、個人情報保護に対する問題から国立市を含め、未だ不参加の自治体がいくつかありますが、記事の最後にもあるように「やるべき公共事業、ほかにある」ということで、システム自体の見直しについて考える時期に来たことを、問題提起した内容になっています。

ちなみに、私の名前には外字が一文字入っていることから、記事によれば、他府県では住民票が取れないことになってしまいます。今まで他府県で住民票を取ったことはありませんが......。

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『不安定社会の中の若者たち』

片桐新自(2009)『不安定社会の中の若者たち』世界思想社、2400円+税。
本書は、若者の意識を調べるために行った1987年の調査を2007年まで、5年おきに継続して行うことで、若者の意識の変化と今後の予測を行うことを課題とした内容になっています。若者の意識調査ということで、関西地区にある大学の文系学部に所属する学生を対象として、調査は行われています。

調査対象に対しては、「厳密な標本抽出」でないとの断りも書かれていますが、「データを禁欲的に解釈するのではなく、日常的な学生たちとのつきあいや観察から得ているデータを利用して、多少大胆な解釈・予測も思い切ってしていきたい」という片桐さんの問題意識が、理解できる内容になっています。

第1章では、「これまでの調査から語ってきたこと」ということで、1987年から2002年までの調査内容の概略がまとめられています。第2章では、「調査対象者に関する基本データ」ということで、「調査方法」と対象となった学生の「基本属性」についての説明があります。そして第3章からは、2007年の調査を含め、若者の意識の変化に対する具体的な分析がなされています。

第5章「友情がすべて」のところでは、「群れたがる男たちの時代」ということで、興味深い分析がありますが、親友の数を尋ねた質問に対する回答から「『親友』とはただの『(仲の良い)友人』と変わらないと思っている人の存在が増え」たとのことで、知人・友人・親友等、「友人区分の境があいまいになってきている」との指摘もなされています。これは私自身、調査対象と同年代の人たちと接しているときに感じていたことで、その後の情報機器との関係についての分析を含め、納得できる面がありました。

第7章「観客的社会関心」では、「新聞の読み方」に対する回答から大学生の社会的関心に対する分析へと入っていきますが、時系列に比較することで、新聞を読まない学生が増えている現状が明らかにされています。そこでは、1987当時からよく読まれていた「テレビ欄」ですら、2007年には、読む学生の割合が6割を切っている現状が示されています。また、「多様化する情報源」ということで、パソコンでニュースをチェックする人と携帯でニュースをチェックする人の違いが記述されていますが、この点に関しても、興味深く読むことができました。

第9章「手堅く生きる」では、20年間の大学生の変化として「反社会的な要素を多少なりとも見せていた『新人類』的若者から、すっかり社会に飼い慣らされた、明るく陽気だが、臆病で長期的視野を持たない『指示待ち症候群』的若者へと、重心が移って」きたとの指摘があり、それに続く「おわりに」では、「総括と展望、そしてなすべきこと」ということで、調査結果に対する片桐さんの「総括」と今後への決意表明(?)が書かれています。

巻末には「1975-2007年の出来事と流行」ということで、片桐さんの視点から捉えた「出来事」と「流行語・ブーム」が年代毎にまとめられています。私自身、片桐さんとは同年代のせいもありますが、こうした年表を見ながら調査結果を読み返すことで、若者の意識変化だけでなく、学生時代から今日までの自分自身を、いろいろと振り返ることができました。

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『放送禁止歌』

森達也(2004)『放送禁止歌』光文社、648円+税。
テレビやラジオで放送禁止とされている歌が、何故放送されなくなったのかという疑問から、「放送禁止歌をドキュメンタリーで検証する」という企画に着手することで、その理由を追求していこうという森さんの問題意識から書かれたのが、本書となります。

放送禁止歌が決定した過程を追及するなかで、放送禁止歌を決定するシステムと考えられていたものが、「強制力や拘束力などまったくないガイドラインでしかない」ことだけでなく、「各放送局が自主判断するための一つの目安」に過ぎないことが明らかになっていきます。しかし、規制は今も続いていきます。その理由を森さんは、真の「規制の主体」を、「メディアに帰属する一人ひとりのイメージにしか存在しない」こと。そしてそれは、「メディアという発信する側だけでなく、歌い手や受け手の側の思い込みもこれに加担」していることを明らかにしていきます。

規制は、「日々増幅し続けている。なぜなら実体がないからだ。実体がないからこそ、容易に肥大するし尾ひれもつく」。そうした実体のない「幻想」におびえる自主規制は、放送局だけのものではなく、私たちのなかにも潜んでいて、私たちの心の有り様と無縁ではありません。放送禁止歌を検証する過程が書かれた本書は、そんな私たち自身の心の有り様への、問いかけにもなっています。

本書の最初に書かれている岡林信康さんの『手紙』は、私がギターを練習していた頃、友人から教えてもらい、最初に弾けるようになった曲でした。そして最後の方では、アルバムが出た当時は購入し、そのアルバムのなかでも好きな曲の一つだった「赤い鳥」の『竹田の子守歌』についての経緯が書かれています。その中で、森さんが抱いていた後藤さんに対する考えが、電話でのインタビューにより、勝手な思い込みにしかすぎなかったことが明らかにされていきますが、電話を終えたあと、「いい歳をした男が情けない話だとは思うが、最後の最後には少しだけ泣いた」という記述があります。そんな言葉で終わっている本書に、感動しました。

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『セブン-イレブンの正体』

古川琢也+週刊金曜日取材班(2009)『セブン-イレブンの正体』金曜日、1200円+税。
1月20日付け中日新聞朝刊に、2008年の全国百貨店売上高がコンビニ全店の売上高に抜かれることが確実になった旨の記事が掲載されていました。テレビ等のニュースでは、タスポ効果による売上げ増や、若者だけでなく幅広い年代層による利用がコンビニ全体の売上げを押上げているとの解説もなされていましたが、そうしたコンビニの代表であるセブンイレブンの「裏側」を解説したいくつかの記事から構成されているのが、本書となります。

「本部一人勝ち」を生み出す「コンビニ会計の仕組み」や「加盟店からの不当ピンハネ疑惑」など、具体的な資料の呈示だけでなく、元加盟店主が起こした裁判内容も報告されていて、興味深い内容になっています。また、「人気商品」としての「おでん」の裏側として、「本部が作成したおでんの損益分岐点」に対する疑問とともに、「鮮度管理」の難しさが具体的な事例とともに記述されています。おでん鍋への「虫の混入」に対する記述もありましたが、「利益に結びつきにくい一方、管理は難しい」との指摘には、頷けるものがありました。

90年代までは、セブンイレブンの情報システムの先進性が、いろいろな雑誌で特集されていた記憶があります(現在も続いているのかもしれませんが)。一日当たりの平均売上げが、2位のローソンを大きく引き離しているのも、情報システムの違いによると書いている記事を、いくつか読んだ記憶もあります。そしてその情報システムとともに、情報システムを使う店の人たちが、常に「仮説と検証」を行っていることを評価している記事を読んだこともありました。

「四六時中見張られる商品配送ドライバー」のところでは、そうした情報システムに縛られた労働現場が抱える問題が、いくつか指摘されています。また、「仮説と検証」については、「会長が出したアイデアの『成果』を検証することなど、絶対に不可能」とのセブンイレブンの元社員の言葉とともに、「自腹買い」の存在についても報告されています。

終りの方では、セブンイレブンに代表されるコンビニ業界が抱える「問題」を報道しないメディアの姿勢対する指摘もなされています。鈴木会長がトーハンの副会長を兼務していることから、「出版業界への影響力も非常に強い」とのことで、さまざまなエピソードが紹介されています。そして最後には、セブンイレブンの弁当工場への「潜入ルポ」も掲載されています。

本日(2月7日)付け中日新聞朝刊には、「金融危機の今こそスローライフ」ということで、効率優先の生活を見直しゆとりある暮らしを目指すスローライフ運動の発祥の地イタリアから来日したブルーノ・コンティジャーニさんの記事が掲載されています。一日推定一億八千万円(セブンイレブン全店)相当の弁当類が廃棄されているというデータの呈示から本書は始まりますが、便利さの陰で、それを支えるモノの問題だけでなく、人の問題にも切り込んだ本書は、「コンビニ」を考える上で参考にすべき本の一冊だと思いました。

ちなみに、本書はセブンアンドワイのインターネットショッピングを初めて利用して注文し、自宅近くのセブンイレブンで受け取りました。注文から受け取りまでの期間は4日で、受け取りまでの状況が、ホームページでリアルタイムにチェック可能な状態になっていました。

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『新聞再生』

畑仲哲雄(2008)『新聞再生』平凡社新書、760円+税。
昨年11月、朝日新聞が9月の中間連結決算で、約100億円の赤字に転落したことが報道されていました。広告収入や販売部数の減少が大きな原因とされていますが、私の周りでも、若い人たちの多くで新聞を読まない人が増えていることから、それ以来、新聞業界も厳しい状況に入りつつあるのかなという問題意識を持っていました。

そんな時『新聞再生』と出会い、「新聞の危機」は「新聞業界の危機」に過ぎないのではないか。「大手紙の視点からは見過ごされてきた周縁的な場所、そこにこそ、『新聞なるもの』の本質と可能性が見出されるのではないか」という裏表紙の言葉に惹かれることで、購入して読むことにしました。

序章では「新聞とはなにか」ということで、「新聞」という「言葉の来歴や変遷」が述べられています。「新聞」とは「社会現象のひとつの形態であり、新聞紙も新聞社(社員)も、読者も、その現象を構成する要素に過ぎない」と考えた戸坂潤さんの言葉も引用されていますが、「新聞業界の危機」が叫ばれる今こそ、<新聞>の理念や規範を求めることの必要性を感じた畑仲さんは、新聞業界の周縁にいる人たちの営みに注目します。そして、そうした「周縁の人たちの視座」から、「<新聞>なるものを再構築し、再生する糸口をつかみたい」という畑仲さんの問題意識へと、記述は進んでいきます。

第1章・第2章・第3章では、鹿児島、神奈川、滋賀といった「周縁」での<新聞>の動きが、具体的な事例とともに記述されています。「旧鹿児島新報社OBたちの闘い」や「『みんなの滋賀新聞』の挑戦と挫折」では、結果的には「廃刊」や「休刊」となった<新聞>の事例が分析されていますが、畑仲さんが主張するように、「<新聞>なるものを位置を変えて見つめなおす」試みとしては、私にとっても、参考になる内容が含まれていました。

最後の第4章では「新聞を救う」ということで、「言説の公開性と他者との共同性を担保する社会的な空間」を保障する場としての<新聞>についての議論が展開されています。新聞読者には三つの側面があり「消費者としての読者」「広告主に呈示する購読数=商品としての読者」「ジャーナリズム活動のパートナーとしての(市民としての)読者」がそれにあたると畑仲さんは指摘しています。「<他者>に開かれた社会空間としての<新聞>は新聞社の所有物ではなく、デモクラシーの苗床」でもあることを考えれば、「ジャーナリズム活動のパートナーとしての読者」への注目が、今後、高まらざるを得ないと思います。そんな新たな運動の場としての<新聞>を考える上では、是非とも一読すべき本だと思います。

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『著作権という魔物』

岩戸佐智夫(2008)『著作権という魔物』アスキー新書、724円+税。
1月29日付け中日新聞に、「番組海外転送は適法」というタイトルで、運営会社の日本デジタル家電を訴えていたテレビ局側が、知財高裁から逆転敗訴の判決を受けた旨の解説記事が掲載されていました。

運営会社が行っているサービス内容は、海外に住む利用者が送受信機を有料でレンタルして使用。手元に受信機を置き、インターネットを通じて見たい番組を予約すると、日本国内にある送信機が録画して転送する仕組みとのこと。記事の内容だけでは、細かな点について理解できない面もありましたが、本書を読み進むうちに、今回の判決の意味する内容を理解することができました。

本書は、1章が「テレビ局を震撼させた下町の小さな商店」ということで、ローケーションフリーを用いたサービスを運営している『まねきTV』と、『まねきTV』を訴えて敗訴したNHKを含む民放5局とのやりとりの解説から、内容は始まっています。

『まねきTV』がサービスを開始する以前、『録画ネット』というサービスが存在していて、そのサービスは著作隣接権侵害で裁判となり、敗訴しているとのこと。『まねきTV』の永野さんは、「基本的に1対1であれば自動公衆送信装置に当たらない」はずで、「送信可能化権を侵しているわけ」ではないことから「負けるわけがない」ということで、放送局との裁判に臨んだとのこと。

1章には、放送局側の主張も書かれていて、裁判の過程で何が問題とされたのかが、分かりやすくまとめてあります。そしてこの問題については、2章、3章へと進む中で、視点を変えた解説がなされていて、著作権との関わりで『まねきTV』問題の本質が、理解できる内容となっています。

4章以降では、米国の状況を踏まえ「著作権という魔物」が持つ問題について、さまざまな解説がなされています。『おふくろさん』問題について触れた箇所もありますが、米国と異なり、日本特有の「しきたり」が著作権に反映されていることの問題も指摘されていて、興味深く読むことが出来ました。

最後の方では、「アメリカというルールに従い続ける日本」ということで、著作権保護期間を70年に延長することについての問題も指摘されています。著者の岩戸さんはそこで、「保護期間は短く設定し、広く利用されるようにした方が、今の時代にはあっている」と正しい意見を述べていますが、「コピーが次々とコピーを作り上げていくことに依存している」インターネットが生活の一部となった今、本書は、「著作権という魔物」についての考えを深めるための必読書になっていると思います。

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