小暮修三(2008)『アメリカ雑誌に映る<日本人>』青弓社、2000円+税。
子供ができて成長する過程で、親であることの意味を考えさせられるようになりましたが、病気のために入院した高齢の親に付き添う中で、私自身が子供としての意味を、改めて考えさせられています。そして私の職場でも、外国籍を持つ多くの人たちと日常的に接するようになることで、最近は、<日本人>であることの意味についても考えさせられるようになってきました。そんな時、「アメリカ人は<日本人>をどうイメージしてきたのか」という表紙の言葉に出会うことで、<日本人>に対するイメージを、私自身がどのように作り上げてきたのかという興味もあり、購入して読むことにしました。
「はじめに」の所では、本書を執筆するきっかけとなった小暮さんの思いが、記述されています。アメリカへの留学体験のなかで、「日本人とは~である」と断言しうる特質とは一体何だろうかと考えるようになったこと。そして、こうした「『日本人とは~である』という本質論的ロジックがアメリカ社会でどのような形で表されていてどのように創造・維持・補完されているのか、という疑問」がきっかけとなって執筆された小暮さんの博士論文のテーマが、本書のもとになっていることも書かれています。
「はじめに」の後には、第5章まで5つの論考が続いていきますが、第1章の「他者/自己への眼差し」は、アメリカのメディアに描かれた20世紀の<日本人>のイメージを読み解く作業を、教育・科学雑誌である「ナショナル・ジオグラフィク(以下「ナショ・ジオ」)」通して行っていくという小暮さんの問題意識を語ることから始まっています。
「リプレゼンテーション」は、「ある意味作用システムを共有するメンバーがそのシステムを使って意味を生み出す過程として捉えることができる」ということで、その「リプレゼンテーション」という概念に焦点化するのは、「そこに存在する『モノ』に意味を付与しようとする人間が使う特定のシステムとその強度、さらにその行為を固定化・自然化する強度、すなわち政治性が現れるからである。その政治性の分析こそがリプレゼンテーション分析」にほかならず、「モノ」を「読む」とは、そうした政治性までも含めて読み解く必要があるとの小暮さんの考えも、そこには示されています。
その後「オリエンタリズム」「テクノ・オリエンタリズム」「テクノ・ナショナリズム」「『ナショナル・ジオグラフィック』とは?」「『ナショナル・ジオグラフィックス』の<日本人>」ということで、<日本人>を読み解くのに必要となる概念の解説や「ナショ・ジオ」の説明へと進んでいきます。「ナショ・ジオ」では、「非西洋人は貧しく、西洋人は豊かに」、そして、「非西洋人は何かしら肉体的労力を必要とする前近代的なことをおこない、そうではない近代的西洋人と対比される傾向が強い」とのことで、「特定のリプリゼンテーションとして表されている」<日本人>を具体的に読み解いていく作業は、次章へと続いていきます。
第2章から第4章では、「ゲイシャ・ガール」、「サムライ」、「テクノロジー」というキーワードを用いて具体的な読み解きが行われ、いくつか興味深い指摘がなされています。「テクノロジーに『非人間性』という意味を付与し、日本人にロボット的な特性を見出し、その特性に『西洋』的人間性を対比させることで、『西洋』自らの優位性と『西洋』的自己を確立しようとしている」という指摘には、かつて、ロボットと関係する仕事をしていて、ロボットに対する<日本人>と西洋人との考え方の違いに驚きを感じた経験があるだけに、頷けるところがありました。
そして最後の第5章では、「オリエンテリズム批判再考」ということで、全体的なまとめがなされています。テクノロジーに「非人間性」という新たな意味が付与されたのが、70年代半ば以降ということで、この時期「新たなテクノ・オリエンタリズム」が登場し、70年代以降、「日本人のリプレゼンテーションはテクノ・オリエンタリズムの視線の下で変化」していったとの指摘もなされています。本書は、小暮さんの博士論文の一部がもとになっていますが、多くの事例を読み解く中で、「リプレゼンテーション分析」を具体的に学ぶことができる内容になっています。
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