『キャラ化する/される子どもたち』
土井隆義(2009)『キャラ化する/される子どもたち』岩波書店、480円+税。
本書は、「排除型社会における新たな人間像」という副題が付けられているように、包摂型から排除型へと大きく変化しつつある社会の有り様を、著者である土井さんの視点から分析した内容になっています。
本書は4章から構成され、各章のタイトルは「コミュニケーション偏重の時代」、「アイデンティティからキャラへ」、「キャラ社会のセキュリティ感覚」、「キャラ化した子どもたちの行方」となっています。各章の論旨は、事例に対する記述とともに進んでいきますが、それぞれの内容が身近であることから、記述を読みながら「子どもたち」だけでなく、私自身を振り返ることができることができました。
1章では、人びとの価値観が多元化することで、自己肯定の根拠を確認しづらくなったことが、「抽象的な他者」ではなく「具体的な他者」からの評価に依存するようになったことの問題点として分析されています。自己肯定感の基盤であるコミュニケーションの場が常に確保される必要が、「コミュニケーション能力の専制」を生み出しているとの指摘は、言われてみれば確かにその通りだと思いました。
1章を受けて2章では、対人関係に応じて意図的に演じられる「キャラ」についての議論が展開されています。「複雑化した人間関係の破綻を回避し。そこに明瞭性と安定性を与えるために、相互に協力しあってキャラを演じあっている」という記述と、ただ一つ残された絶対的な拠り所としての「内キャラ」が生み出す新たな「宿命主義の登場」に対しては、いろいろと考えさせられてしまいました。
そして3章4章では、「キャラ社会」や「キャラ化した子どもたち」の問題点に対する議論へと進んでいきますが、そこでは、ある種の理不尽な関係の中で「不本意な自分、異質な自分との付き合い方」を学ぶことができること。そして、他者に対する不寛容さが自分自身に対する不寛容さをもたらしてしまうという重要な指摘がなされています。
また土井さんによれば、普遍的な価値の物差しのない私たちにとって、多種多様な人的ネットワークの網の目のなかにしか、自己肯定の基盤を見つけることができないとのことで、自己は対人関係のなかでしか構築できないという指摘は、私自身の考えと一致する内容で、共感できました。
本書の最後では、排除型社会の仕組みとそれを支える心性を克服できなければ、自分自身を自分から排除せざるをえない結末が待っているという「宿命」に対する指摘もなされています。63ページという小冊子で短時間に読める内容ですが、ページをめくりながら、いろいろと考えさせられました。
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