経済・政治・国際

「巨大風車 向かい風」

標記タイトルの記事が、本日(10月9日)付け中日新聞朝刊「話題の発掘 ニュースの追跡」に掲載されています。風力発電の問題は、先月にも巨大風車から発生する低周波による健康被害が、同じ「ニュースの発掘」で取り上げられていました。今回の記事は、巨大風車の問題を取り上げた第2弾(?)となります。

今回の記事では、低周波による健康被害のほかに、建築工事にともなう森林伐採による土砂災害や水源への影響、景観破壊等の問題が指摘されています。また、税金から巨額な補助金が支払われているなかで、風車建設に対する規制がほとんどないことの問題も指摘されています。

補助金の交付条件が出力計1500キロワット以上とのことで、その条件を満たすため「風車の巨大化」が促されているとの指摘もなされていますが、発電量は風任せの状態で、能力の一割程度しか発電できていないとの試算も、記事では示されています。

そして、市民からの公募債や企業の協賛で建てられた横浜港の巨大風車「ハマウイング」の発電実績は、目標に達していないことから、取材記者による公表の求めに対し、市の担当者から拒まれたことが、記事の終わりの方で指摘されています。

また、巨大風車の建設が環境影響評価法の対象外であることも、この記事により始めて知ることができました。記事の中では、「考える会」の加藤登紀子さんたちの活動も紹介されていて、その内容から、法整備を求める活動の一端を知ることができました。

このところ、「エコ」を合言葉にした公共事業がいろいろな形で行われるようになってきています。しかしその問題点については、当事者以外なかなか分からない現実があります。ブログ等での問題の指摘は、ときどきは参照したりもしていますが、私自身、新聞やテレビといったマスメディアの情報により、こうした問題を考える機会を持つことができているのも事実になっています。その意味でこうした特集記事は、私にとって大切な情報源となっています。

中日新聞の「話題の発掘 ニュースの追跡」に、今後とも期待したいと思います。

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「風力発電 健康被害訴え」

9月15日付け中日新聞朝刊「話題の発掘 ニュースの追跡」に、標記タイトルの記事が掲載されています。「伊豆の住民ら苦悩」ということで、巨大風車10基からなる「伊豆熱川ウインドファーム」の問題点が、そこでは指摘されています。

巨大風車が現れたのは2007年11月で、試験運転が始まるとモーター音以外に「風車病」と呼ばれる異変が近くの住民の間に起こるようになったとのことで、記事によれば、その内容は、目の奥の痛みだったり肩や背中の張り、鼻血が出る症状として現れた。また、眠れないことから、医師に睡眠薬を処方された例もあったとのことでした。

記事では「海外で報告されている低周波による健康被害の特徴と一致するが、医者にうつ病と言われる人も。体内でどのような仕組みにより異変が起きるのか、分からない」と困惑する、被害者団体関係者による言葉も紹介されています。また、「風車の低周波にかかわる問題が生じる可能性については、環境省の文書にも明記されている」にも関わらず、環境アセスメントや地元同意は、「法律で義務付けられていないという矛盾」も指摘されています。

記事の最後では、「風車の低周波では、欧米でも多くの人が苦しんでいる」ことから、国として「対策を講じるべき」との、鶴田由紀さんによる提言もなされています。最近では、愛知県内でも大型の風車を見かけるようになり、自然エネルギーということで環境へのプラスの側面ばかりが強調され、低周波による健康被害については、私自身この記事を読むまで、問題意識を持っていませんでした。

今回の記事では、風車以外の低周波による健康被害にも触れられています。14日付けの記事では「もんじゅ再開」問題も取り上げられていて、中日新聞では2日連続でエネルギー関係への問題提起がなされています。政権交代の時期と合わせた記事ともいえますが、こうした問題は、これからも継続した「追跡」をお願いしたいと思います。

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「包み合い失い『裸の個人』に」

3月22日付け中日新聞の「視座」に、内山節さんが標記のタイトルで、記事を書いています。北関東の山村で生活する内山さんの日常にも、春めいた季節の便りが届くようになりました。そんな生活とはいえ、山村の生活には厳しいものがあるとのことで、それは高齢化が進み、経済的な基盤が年々弱体化しているのが理由とのこと。

そんななか、村の暮らしが都会より「無事な感覚」を抱かせることを不思議に思い、その理由について考えてみる。内山さんはそこで、村と都会とでは、「私」を包んでいるものの厚さ違いにあることに気がついていきます。

「村では自然が『私』を包んでいる。村人が『私』を包んでくれている。村の文化や歴史も『私』を包む。ここにはいろいろなものに包まれている安心感があり、それが無事な時空を感じさせる」。そして、「現代社会が弱体化させたのは、この包まれた安心感」であり、都会と村の暮らしにおける「無事な感覚」の違いはそこにある。

近代化という名のもとに、包まれたものから離脱することが進められ、都会に暮らす私たちは、個人になっていきました。だた、そんな個人としての私たちでさえ、その多くは企業等の制度に包まれることで、安心感を感じることができていました。とはいえ、三分の一以上が非正規雇用となった現状では、制度にも包まれることもない「裸の個人」が、多く生み出されるようになったことに、内山さんは危機感を感じています。

近代化は、「裸の個人」を絶対視する思想とともに進んでいきました。そしてこの不況のなか、何者にも包まれることない「裸の個人」として、不安な日々を過ごす人々が急増し、テレビや新聞等のニュースのなかで、彼らの生活が伝えられる機会も増えてきています。

記事の最後では、「人間たちが無事に生きていく方法の発見」が、今の私たちに与えられた課題であるとの指摘もありますが、包まれていることの意味を、いまこそ問い直す必要があることに、内山さんの記事を読むことで気づかされました。

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「ETC消えた」

3月19日付け中日新聞(夕刊)一面に、標記タイトルの記事が掲載されていました。12日からの助成開始以来、「東海地方でもカー用品店には車載器の購入希望者が殺到し、品薄が続いている」とのこと。

国交相は19日の閣議後の会見で、ETC車載器への購入助成について、「反響が大きいことから四月以降も継続する方針を明らかにした」との記述もありましたが、私自身、12日の助成開始日に、カー用品店で取り付けを行いました。

カー用品店での取り付けを選択したのは、助成を受けるための支払い方法が、普段、車の点検等を行っているデーラーよりも簡便だったことと、取り付け費用が安価だったのが理由になります。

取り付け当日は、購入者の順番待ちもありましたが、カー用品店の閉店間際に取り付けが終了。カー用品店への到着が数十分遅ければ、当日の取り付けには間に合わない状態でした。

大学生の子供が京都にいるため、年に何度か京都まで高速道路を利用する機会があり、利用料金を含め、28日からは「便利」になるとの期待からETCを購入した訳ですが、唯でさえ渋滞する路線だけに、どうなるか心配にもなってきます。

サービスエリアでは、混雑に対応するため仮設トイレを増設するとの記事も、数日前の新聞には書かれていました。「便利」さだけを考えても、「今回の助成制度がよかったどうかは疑問だ」という声も、私の周辺では話されたりしていますが、28日の割引開始が近づくにつれて、いろいろと考えさせられています。

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「劣化止める連帯を」

1月25日付け中日新聞の「視座」に、内山節さんが標記のタイトルで、記事を書いています。内山さんによれば、2009年は、「連帯」という言葉の意味を深く取り戻せるかが問われる年になるということで、記事の中では、昨年来の世界的な経済危機を原因とした経済・社会・政治の劣化に対して、問題提起を行っています。

1929年の世界恐慌の時、人びとは、まださまざまな結びつきを持っていて、「親戚」という言葉は、今日のように死語にはなっていなかった。地域の結びつきは今日より強く、同窓会の仲間や仕事仲間が助け合う力を持っていた。そして昭和恐慌の時には、庶民の間に急速に広がったものとして「無尽」や「頼母子講」の存在があり、こうした「さまざまな結びつきや助け合いの仕組みが社会に埋めこまれて」いることで、それらが人びとにとっての「セーフティネットの役割をはたしていた」と、内山さんは指摘しています。

また内山さんによれば、今日ではバラバラになってしまった個人を前提とすることで、危機に立たされても「自分で解決するしかなく、解決の道が閉ざされれば絶望するしかない」状況になってしまったということで、経済・社会・政治の劣化した「未経験の時代がいま私たちの前で展開しはじめた」のが、世界恐慌の時との最大の違いとのこと。

そして、全てが劣化した社会のなかで私たちが行うべきことを、内山さんは「連帯」という言葉を用いて提案しています。「地域における連帯」、「農民や生産者との連帯」、「世界の人々との連帯」、「自然との連帯」。こうした多様な「連帯」を構築することが、「今日の社会の劣化をくいとめる」処方箋になるということで、「連帯という言葉の意味を取り戻す」ことが、私たちにとっての最大の課題だとしています。

「派遣切り」という言葉に象徴されるように、年末から新年にかけて表面化してきた雇用問題に対して、まだ一部ですが、「連帯」して戦う(助け合う)人々の声が日本でも出てくるようになりました。とはいえ、1998年から自殺者が3万人を超えるという「先進国」では異常な状態も続いています。その意味で、内山さんが指摘するように、2009年は、「連帯」という言葉の意味を取り戻すことで、私たち自身を見つめ直す時代に入ったのかもしれません。

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「リストラのしっぺ返し」

1月8日付け中日新聞夕刊「大波小波」に、標記のタイトルで、記事が掲載されています。
内容は、国内における車の売り上げの減少と、若者の車離れが深刻化しいていることを、将来に不安を抱える人間が、高額なローンを組んで新車を購入するわけがないということで、「就職不況で派遣契約にならざるをえなかった若い従業員を、情け容赦もなくリストラするような社会では当然」で、「そんな情勢を率先して作り出したのは、トヨタをトップとする自動車産業」であり、「自らの『合理化』のしっぺ返し」を食らっていると、正しく指摘しています。

昨年、中日新聞のシリーズとして連載されていた「結いの心」では、2008年5月11日からは「トヨタの足元」ということで、「営業利益が二兆円を超え、『勝ち組』の代表となった」トヨタの足元にある「町工場の犠牲」についての特集が組まれていました。

第1回のタイトルは、「希望見えぬ『世界一』」となっていましたが、そこでは「国際競争力ナンバーワン」を目指すトヨタのコスト削減大作戦が2000年夏に始まったことと、コスト「三割削減という非情な『お願い』が末端の下請けまで駆け降りてきた」という過酷な状況が記述されていました。

そして「読者からの反響」(2008年6月8日)では、「何のための利益ですか」ということで、「トヨタ本体と、その下請け会社との利益格差が臨界点に達している」との読者の声も掲載されていました。まさにこうした状況のなかで、若者を中心とした車離れが進んで進行していったとすれば、「大波小波」の記事にあるように、トヨタを代表とする自動車産業は、「自らの『合理化』のしっぺ返し」を食らったことになります。

「大波小波」の最後では、「経営陣は自分たちの給料を減らしてでも若者たちの職を守る姿勢を見せたらどうか」との提言もしていますが、この時期になり始めてこうした指摘を行うのではなく、最高益を挙げていた昨年5月の段階から地道な取り組みを行うなかで問題点の指摘を続けてきた中日新聞には、これからも頑張ってほしいと思います。

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モバイル広告急成長

11月30日(日)付け中日新聞に、「モバイル広告急成長」との記事が掲載されています。急成長の背景として、「データ通信の速度向上や定額制の普及」があり、「当初は見向きもしなかった大手広告主の出稿」も相次いでいるとのこと。

モバイル広告の歴史は浅く、黎明期の広告主はゲームや占いのモバイル業者に限られていたが、2007年5月「モバゲータウン」がコカ・コーラと組んで展開した広告から状況が変わったとのこと。

私自身、ケータイでは通話とメール以外の利用をしていないことから、モバイル広告の現状を全く知りませんでしたが、2011年には2500億円の市場へと成長するとの予測データが、記事の中に掲載されていました。

2007年の日本の広告費が約7兆円であることと、ネット広告費全体のなかでモバイル広告の占める割合は一割とのことで、まだまだ全体への影響は少ないのかも知れませんが、雑誌や新聞・テレビの広告費の割合が、ここ数年落ち込みを見せるなかで、広告業界における地殻変動が確実に進んでいる現状を、記事により垣間見ることができました。

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現代を蝕む「後は野となれ」

9月21日(日)付け中日新聞の「視座」に、内山節さんが標記の題で記事を書いています。内容は、「自然の有限性」を無視した経済活動に対する問題提起になっています。「自然は無限に存在する」という無理な発想の上に構築された「近代-現代の世界」は、基本的な発想が、「いまさえうまくいけば、後は野となれ山となれ」という考え方であり、その発想が私たちの「精神の習慣」になってしまっていることが、いろいな問題を起こしているというものです。

長期的な成長ではなく、当面の株主の利益が確保されなければ経営者は批判を浴びるようになり、流通・小売業者は当面の利益を求めて農民や漁業者に安値で出荷を要求する。そして、最近の食物に対する「偽装問題」も、「いまさえうまくいけば」という発想が「精神の習慣」になってしまったことに対する問題として表面化してきています。

記事の最後では、こうした「精神の習慣」が、現代社会を頽廃させる要因となっただけでなく、有限にしか存在しない自然を、無限に存在するもの仮定して経済発展の理論を作った近代社会の「不正」が、さまざまなかたをとって現代社会を蝕んでいると、内山さんは指摘しています。

食料問題や環境問題など、自然の「有限性」を無視できなくなった今、成長が当たり前として語られる「近代-現代の世界」のあり方についての内山さんの問いは、共感できる部分も多く、私にとっても、これから「生き方」を考える上で、常に念頭に置かなくてはならない問いだと思いました。

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「数値で管理される世界」

中日新聞朝刊(7月27日付)の「視座」に、内山節さんが「数値で管理される世界」という記事を書いています。内容は、環境や資源、食料などの問題がテーマとなった洞爺湖サミットが、多くの人々にとって関心を持つに至らなかった理由についてです。

サミット参加国が捉える世界は数値で表された世界であり、数値により管理される世界の構造こそが、私たちが直面する問題の根本にあるということに対するサミット参加国の無関心を、内山さんは鋭く指摘します。

先進国と途上国、これらの言葉に示される基準自体、「国民一人当たりの所得」という数値によって切り分けられています。こうした数値に還元されていく世界のあり方に対する内山さんの違和とともに、記事の中では各種の問題点の指摘がなされています。

数値が全てという経済活動の展開のなかで、結果として拡がる格差とともに、自己の尊厳を失っていく人々を多く作り出しています。そして今、私たちがしなくてはいけないのは、こうした「数値で管理される世界」とは異なる人と人との関係を、世界のなかに新たに構築することと、内山さんは指摘します。

様々な数値目標がテーマとなった今回のサミットでしたが、「数値に管理される世界」に対する違和が、サミットへの関心や期待へと人々が向かわなかった理由との内山さんの指摘には、私自身、共感するところがありました。

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「テレワーク」について思うこと

独立行政法人労働政策研究・研修機構発行『ビジネス・レーバー・トレンド』2008年2月号(特集・在宅勤務とワーク・ライフ・バランス-現状と新たな展開-)によれば、週8時間以上テレワークを実施している日本のテレワーク人口は、2002年408万人に対し、2005年674万人。テレワーカー比率は、2002年6.1%に対し2005年10.4%となっています。

2005年のテレワーク人口674万人の内訳は、雇用型テレワーカー506万人、自営型テレワーカー168万人。比率10.4%の内訳は、雇用者型9.2%、自営型16.5%とのこと。テレワークの意義・効果としては、少子高齢化対策の推進、ワーク・ライフ・バランスの実現、地域活性化の推進、環境負荷軽減、等が指摘されています。

オフィス勤務日と在宅勤務日の平均行動時間の差を比較した結果によれば、勤務時間に関しては、在宅勤務を行うことで男性約60分削減というプラスの効果があったのに対し、女性15分増加というマイナスの効果になっています。これには、オフィス勤務日の勤務時間の違い(男性10.6時間、女性9.3時間)も指摘されていますが、勤務時間と個人的活動時間に対するテレワークの効果が、男女で逆になっているという興味深いデータを見ることができました。

企業のテレワーク導入に対するアンケート結果も発表されていますが、テレワーク実施上の課題として、「コミュニケーションに問題がある」58.3%、「情報セキュリティの確保に問題がある」41.7%、「『テレワーク』のメリットが明確でない」25.0%、「労働時間の管理が難しい」25.0%、等が指摘されています。合わせて、組織運営上不可欠な社内コミュニケーションへの悪影響に対する、問題提起もありました。

とはいえ、アメリカでは全就労者人口に対する比率が、2000年12.4%から2007年26.3%へと倍増しています。日本と同じくコミュニケーション上の課題も指摘されていますが、ワーク・ライフ・バランスや環境問題への関心の増大などにより、テレワークを志向する人たちは、着実に増加しているとのことでした。

日本でも2006年から07年にかけて、大手企業の数社が、在宅勤務の対象者拡大を表明しています。「労働時間の管理が難しい」という意味では、裁量労働制の問題とも絡んできますが、今回の特集記事により、働き方の今後のあり方について、改めて考えるきっかけを持つことができました。

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